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いま囲碁界で起きている”人間とAI”の関係──「中国企業2強時代」「AIに2000連敗して人類最強へと成長」将棋界とは異なるAIとの向き合いかた

 1997年。IBM社が作ったチェスAI『ディープ・ブルー』が人類最強のガルリ・カスパロフ(当時のチェスの世界チャンピオン)を倒した時、将棋のプロ棋士の多くはこう言いました。
「将棋はチェスより複雑だから俺が生きてるあいだは負けない」

 その16年後の2013年。山本一成さんが作った将棋AI『ポナンザ(Ponanza)』が佐藤慎一四段(当時)を倒した時、囲碁のプロ棋士の多くはこう言いました。
「囲碁は将棋より遙かに複雑だからコンピューターに負けることは絶対にない」

 しかしそのわずか3年後の2016年。ディープマインドが作った囲碁AI『アルファ碁(AlphaGo)』が世界トップ棋士の李世ドル(イ・セドル ※ドルは「石」の下に「乙」)を倒した時、全世界は大慌てしました。
「人間の仕事が機械に奪われる!」

 日本国内では、電王戦の影響もあって将棋AIがプロ棋士を破った時のほうが大きく報道された印象ですが、世界規模で見れば囲碁AIが人類トップを破った時のほうが遙かに大きなニュースになりました。
 それはなぜか?

 一つは、アルファ碁を作るのに、超巨大IT企業であるGoogleが関わっていたこと。
 そしてもう一つは、そのAIが『ディープラーニング』(深層学習)という技術で作られたということ。

 今後、将棋でもディープラーニング系のソフトが主流になるであろうと予測されています。
 果たして何がどう変わっていくのでしょう?

 ディープラーニング系のソフトは、どんな囲碁を打つのか?
 導入するのは難しいのか? 開発規模は? 研究にどう生かせばいいのか?

 そんな囲碁AIについて、開発に携わったこともあるプロ棋士・大橋拓文六段@ohashihirofumi)からお話をうかがいました。

取材・文/白鳥士郎

進藤ヒカルの同期!?

──初めまして! 本日はよろしくお願いします!

大橋:
 大橋です。よろしくお願いします。

──以前からツイッターでやりとりさせていただいているので、あんまり初めましてという感じはしませんね(笑)。

大橋:
 でも、アイコンじゃなくてお顔を拝見すると、やっぱり不思議な感じが……(笑)。

──ふふふ。大橋先生はツイッターを含めて、あらゆるメディアを駆使して囲碁の普及に努めておられます。下調べで囲碁AIに関する記事を読んでみると、だいたい大橋先生が解説しておられたりと……。

大橋:
 そうですね。たくさんやらせていただいてます。

──今回のインタビューも、私がツイッターで『囲碁棋士の方からディープラーニング系のソフトについて話を聞いてみたい』とつぶやいたら、すぐに『いつでも協力しますよ!』とおっしゃっていただいて実現しました。とはいえ私の囲碁の知識は『ヒカルの碁』で止まっているので、見当違いのことを申し上げるかもしれないんですが……。

大橋:
 僕、ヒカルと同期なんです。

──え!?

大橋:
 アニメの最後に入ってた、監修の吉原(梅沢)由香里さん(六段)が出演されている「GOGO囲碁」というコーナーで。

(画像は「梅沢由香里のGOGO囲碁スペシャル 初級編」より)

──ありましたね。あれ確か、DVDも出てたと思います。

大橋:
 あのコーナーで新入段棋士が紹介されたことがあって、そこで一瞬だけ井山裕太【※】さん(三冠+阿含桐山杯、NHK杯)の隣に僕が映ってるんです。1秒くらい(笑)。

※囲碁棋士として史上初の七冠を獲得。さらに史上初の年間グランドスラム(年間で七大タイトル全て制覇)も達成。

──すごいじゃないですか! この記事を読んでいらっしゃる方の中にも『ああ、あのコーナーね』とわかってくれる人、絶対いると思います!

大橋:
 院生の頃、原作者のほったゆみ先生が棋院へ取材にいらしていたのを目撃したこともありますよ。最初の頃に登場する三谷って、僕の同期の三谷哲也君(七段)がモデルだと思います。

──あの手癖の悪い三谷ですか!?

大橋:
 本物の三谷君は石をチョロまかしたりしませんけど(笑)。

──イカサマをして賭け碁をやって、真剣師に負けて……ヒカルがその敵を討つという。三谷のことを思う席主のおじいさんも含めて、序盤の名シーンですよね!

大橋:
 ほった先生が取材で写真を撮ってるところに僕と三谷君がいて、『これは名前を使ってもらえるんじゃないか?』と……だから多分、そうなんじゃないかと思います。

──いやぁ……すごいエピソードですね。じゃあ大橋先生は、『ヒカルの碁』に相当な思い入れがあるんじゃないですか?

大橋:
 うーん……一応、通して読みはしましたが、伊角さんや和谷に感情移入しすぎてしまって……。

──伊角さんがプロ試験で抱える葛藤や、和谷のヒカルへの嫉妬といった部分……でしょうか?

大橋:
 自分が当時思っていたけど口にできなかったこととかが、全部セリフとして書いてあるんですよ。

──ああ……それは読むのがつらいですね。私も、小説家や漫画家が主人公の話って、読めませんもん(苦笑)。

大橋:
 口にはしなくても、心のどこかで思っていることじゃないですか。直視できないわけですよ。好きな漫画は何度も読むタイプなんですけど……『ヒカルの碁』は、つらくて。

(画像は「ヒカルの碁 1」より)

──それだけリアルな物語なんですね……。

大橋:
 院生だったから、それがピンポイントだったんです。僕より5歳くらい下だと、当時10歳くらいですから、憧れみたいな気持ちで読めるんでしょうね。だからあの世代は人数も多い。学生大会とか行くと、他の世代の1.5倍くらいいたりして(笑)。

──いきなり囲碁AIとは関係ない話で盛り上がってしまって恐縮でしたが、いいお話を聞くことができて大満足です!! 充実したインタビューになりそうな予感がします……!

人類、アルファ碁に追いつく

──ではさっそく囲碁AIについてうかがいたいと思います。あの、以前のインタビューの繰り返しになってしまう部分が出てきたら恐縮なんですが……。

大橋:
 更新情報がいっぱいあるから大丈夫です!

──そんなに早く進化してるんですね! では囲碁界に大きな衝撃を与えたアルファ碁のお話からうかがってもよろしいでしょうか? 確か、李世ドルさんに勝って『人類を超えた』とされたのが2016年の3月。今から5年近く前のことです。

大橋:
 面白いのはですね。最近の世界トップ棋士である中国の柯潔(カ・ケツ)さんや韓国の申眞諝(シン・ジンソ)さんは、今なら多分……最初のアルファ碁【※】には勝てるんじゃないかなと。

※AlphaGo-Leeと呼ばれる。その後AlphaGo-Master, AlphaGo-Zeroが続く。

──ええ!? 柯潔さんは2017年5月にアルファ碁(AlphaGo-Master)と対戦して3連敗しましたが……そこから人類は強くなったということですか?

大橋:
 はい。今の人類は、昔の人類に7割くらい勝てるようになってるイメージです。

──ええー!? メチャメチャ強くなってる……。

大橋:
 序盤の研究とか、中盤の様々なポイントで強くなっているという感じなので、何子くらい強くなっているという感じではないんですが……対等な条件で戦えば、かなり負けにくいと思います。

──レーティングだとどうなんでしょう?

大橋:
 レーティング上でも、李世ドルさんに勝ったアルファ碁と、今の人類の世界トップは、ほぼ同じくらいです。

──では、現在最も強い囲碁AIは、アルファ碁と比べてどのくらい強くなっているんですか?

大橋:
 いやぁ……AIの進化は遙かに早くて……(嘆息)。

──やっぱ、そうなんですね……。

大橋:
 将棋AIと人類トップの差よりも、囲碁のほうが差は大きいかもしれません。

──そ、そんなに……。しかし将棋のAIでもついにディープラーニング系のソフトが世界一ということになりました。

大橋:
 囲碁のAIはディープラーニングで飛躍的に向上しました。それまでは評価関数をうまくつくることができず、モンテカルロ法という確率の手法で、ここに打ったら勝つ確率が高いというのシミュレーションしていました。

 そこに革命をもたらしたのがディープラーニング。ディープラーニングを用いて評価関数【※】を作ることができて、飛躍的に向上したのです。

※局面の良し悪しを数値化したもの。

──はい。はい。

大橋:
 将棋は三駒関係で急速に強くなった後、様々な手法がありましたよね。囲碁は人間がいろいろ工夫してもうまくいかず、そこにディープラーイングが登場し、これがピッタリはまった。将棋ソフトとは別の道を歩いて行きましたよね。

──将棋ソフトはCPUを使っていましたが、囲碁はアルファ碁が登場した時からGPUを使っていたのですか?

大橋:
 そうですね。ディープラーニングには一般的にはGPUを使います。でもアルファ碁はGoogleがAI向けにTPUというマシンを開発して。李世ドルさんと対戦したあたりではTPUを使っていましたね。しかしそのTPUはGoogleしか持っていないので……。

──GPUで代用したと。でも大橋先生はGPUを購入しようとしたら、アパートのアンペアが足りなかったんですよね(笑)。

大橋:
 そうそう! や、当時は引っ越したばかりで。それなのに足りないという……。

──また引っ越すわけにもいきませんしね(笑)。

大橋:
 当時はGTX1080Tiがトレンドだったんですけど、今も熱心な棋士はRTX2080Tiとかを使ってます。さらに今度はRTX3080とか3090とかが出始めて、みんなそれ買うのかなという状況ですね。

(画像は「GeForce RTX 3090」より)

──RTX3090はやねうら王の磯崎さんが購入を勧めてて、実際に水匠の杉村さんも買ってましたね。これで深層水匠を開発するんだと。ところで囲碁棋士の先生方は、ご自身でGPUを購入して動かす方が多いんですか?

大橋:
 これまでは、そういう人が多かったですね。

──藤井聡太先生は高性能のCPUを購入して、温度なども気にしながらご自宅で将棋ソフトを動かしているとインタビューで語っておられました。

大橋:
 おお……さすがですね!

──囲碁界でも、そういう方がいっぱいいると?

大橋:
 そうですね。若手は『2枚差しするか』みたいな話が好きですよね。

──高性能のGPUを2つに!? アンペアが足りるか心配になりますね……。

大橋:
 ただ、これからは変わってくると思うんですけど。

──大橋先生はAWS【※】を使っておられるんですよね?

※AmazonWebServicesの略称。Amazon.comにより提供されているクラウドコンピューティングサービス。

大橋:
 僕はアンペア問題があったので、山口祐【※】さんに教わってまずはクラウドにしました。使ううちにそれに慣れてしまったことと……あと、そっち方面の知識が増えて、楽しくなってしまって(笑)。

※囲碁AI開発者。世界電脳囲碁オープン戦2位の『AQ』を開発。囲碁AI『GLOBIS-AQZ』の開発プロジェクトの発足人でもある。

──AMI【※】を使って、複数のソフトを動かしておられるとか。ご説明いただいてもよろしいですか?

※どのようなOSやプログラムを使うか事前に設定しておける仕組み。

大橋:
 AWSの中で仮想マシンを組んで、それでソフトを動かしています。ここはエンジニアさんや詳しい方に教わりながらですね。僕はAWSですが、GCP(Google Cloud Platform)を使っている棋士もいて。クラウドなので、性能のいいマシンと簡単につなげることができて楽しいのです。

──けど、お高いんでしょう?

大橋:
 値段はスペック次第ですね。自分で購入する場合はがんばっても2枚差しが限度だと思うんですけど……。

──クラウドなら、電力を気にせずさらに高性能を実現できると。最新の囲碁AIを快適に使おうと思ったら、もっと必要なんですか?

大橋:
 囲碁AIの大会だと、GPUを8枚使うとか。

──おお~!

大橋:
 そのくらいが普通なんです。私もたまに重課金兵になって、4枚差しとか8枚差しとかを実験的に使ってみてるんですけど、これが楽しいです。探索が速いとアドレナリンがでてくる気がします(笑)。

──ウェブ上のサービスだと、家庭では試せないスペックもできちゃうんですね!

大橋:
 僕は『GLOBIS-AQZ』の開発チームに入っていたこともあって、大会のスペックというのを肌で感じてしまっていて……クラウドだと、それがすぐに使えるので。毎日それやったら破産しちゃうんですけど(苦笑)。

──グロービス経営大学院で有名なあのグロービスが中心に開発した囲碁AIですね。囲碁AIの国際棋戦で準優勝した実績もあるほど強いとのことですが……ソフトのスペックが高いと、やはり動かすのも大金が必要に……?

大橋:
 とは言いつつも、適量で使えば大丈夫です。

──あれ!? 意外とお値打ち……。

大橋:
 普段使いのは、1時間約100円のでやってますから。100時間勉強して1万円くらいですね。

──ハイスペックのマシンを購入した場合、へたすると電気代のほうが高くなっちゃうくらいですね?

大橋:
 そうですね。熱心な棋士だと冬は暖房代わりになるという伝説もあります。冗談はともかく、AIを使って研究する会を2年ぐらい前に立ち上げたんですが、みんな集まったときに4枚や8枚を使うというのも有力な一手です。

 一力遼さん(二冠+竜星、おかげ杯)や大西竜平君(七段)、上野愛咲美さん(女流二冠)らがよく来てくれます。

──上野先生、すごいですよねぇ……。インタビューを拝読したり、動画を拝見したりすると、失礼ながらかなり天然な感じがするというか……自分がどこまで勝ち上がってるのかわからないまま対局してたとか……。

大橋:
 上野さんと藤沢里菜さん(若鯉杯、女流四冠)は、本当に強いです! もう男女の区別はないようなもので、トップ棋士の迫力があります。これからもっと記録を作るんじゃないでしょうか。

──藤沢先生がお強いのは、お母様の教育などの記事を読むと『すごいな』と納得するんですよ。ただ、上野先生は……普通の家庭からハンマーを持った女の子がぽんと出てきたみたいというか……対局前に緊張をほぐすために鬼ごっこして体を温めたとか、ちょっと私がイメージするプロの世界とかけ離れてて……。

大橋:
 つい先日も対局前のルーティーン、縄跳び777回をして、女流棋聖を獲得しましたね。自然体なのが良いのかも……。

──上野先生は囲碁AIでの研究に非常に熱心で、AWSで囲碁AIを起動するための手順書をご自身で作られたとうかがっています。

大橋:
 そうなんですよ! AI研究会では、そういう情報を共有していますが、あれを見たときは感動しました。

──今後、ディープラーニング系の将棋ソフトが一般的になった時に危惧されるのが、AWSなどのウェブサービスを使って動かすことのハードルの高さです。CPUで動かす将棋ソフトが出てきた時ですら、扱える棋士とそうでない棋士のあいだで不公平感がある……という議論がありました。
 囲碁の世界では、そういった設定も個々人でやっているのでしょうか? それともどこかの企業がやってくれたり?

大橋:
 囲碁界では、棋士の間で助け合っていますね。研究会を立ち上げた最初の頃、金子真季さん(二段)が設定を憶えてくれて、みんなの設定をしてくれました。

──ふむふむ。

大橋:
 それで若手棋士のあいだで『プロみたいだ(コンピューターの)』って(笑)。

──ははは! たとえばノートパソコンだとどのくらいのスペックで動かせるんでしょう?

大橋:
 RTX2070とかのGPUをノートパソコンに積んでいるのがありますね。普通だったらそれで十分です。ただ、AI好きの棋士だとデスクトップでもっと性能を追求しますね。

(画像は「GeForce RTX 2070」より)

──大橋先生と上野先生が過去にご登場なさったインタビューで、上野先生は自分の棋風に合うからと、少し前のバージョンのソフトを使っておられると語っておられました。囲碁の世界では打ち方の違う複数のソフトがあって、しかも敢えて古いバージョンのものを使うこともある……ということなんでしょうか?

大橋:
 ずっと使ってると、脳内にAIの評価値がインストールされてくるので(笑)。AIを急に変えてしまうと、ぜんぜん違っちゃったり。そうすると形勢判断がおかしくなってしまうことがあるんです。

──だとすると……使用するソフトで流派が全く異なる、みたいな感じに?

大橋:
 昔のアルファ碁……李世ドルさんと対戦したころのAIは人間の棋譜を学習していました。その後に自己対局のみで強くなったアルファ碁ゼロというAIが登場。いわゆる『ゼロタイプ』、これらを比べると評価値が全く違ったりします。

──人間の知識が『ゼロ』だからゼロタイプですか……確かにそう聞くと、人類とは全く違う囲碁を打ちそうですね。

大橋:
 ただ、現在は変化の途中なんじゃないかと思っていて。ものすごく強いAIが出てきたら、そこに統合されていくのではないかなと。

──将棋ソフトは個人が作っている感じなんですが、囲碁は海外の大企業が手がけているものが多いですよね? その中でもやはりまだ、アルファ碁が強いんですか?

大橋:
 こればっかりは実際に対戦してみないと分かりません。しかし、アルファ碁は引退してしまってもう3年たちました。個人的には現在の最強AIはアルファ碁ゼロより強いのではないかと思います。

──あ、引退しちゃったんですね。

大橋:
 今は『絶芸』と『ゴラクシー(GOLAXY)』が2強です。

──絶芸は中国のテンセントが開発したAIでしたっけ? メッセンジャーアプリのウィーチャット(WeChat)で有名な。

大橋:
 そこが今日の核心です!

──あ! ついに核心に……!

中国企業の代理戦争!?

──現在の囲碁AIは、Googleでも日本でもなく、中国企業が作ったものがトップを走っていると……。

大橋:
 そうですね。今は中国が強いです。

 ドワンゴさんが『ディープ・ゼン・ゴ(DeepZenGo)』を作っていた時も、絶芸とよく激突していました。

──2018年の囲碁電王戦FINALをもって引退となった囲碁AIですね。羽生先生と一緒に国民栄誉賞を受賞された井山先生にも勝つほど強いソフトですが、そのソフトのライバルが絶芸だと。

大橋:
 絶芸はアルファ碁と同じように、とにかく開発規模がすごい。やはりクラウドを自社で持っているというのは強みなんですね。

──企業の規模がそのままソフトのパワーになっていると。

大橋:
 『絶芸は夜、強くなる』という笑えないジョークがありまして。

──? 夜間に開発を行うんですか?

大橋:
 中国の人々が寝静まって、10億人分の情報を処理してるテンセントのサーバーがあくと、囲碁を打ち始めると……(笑)。

──まるで都市伝説ですね(笑)。

大橋:
 と言いましても、テンセントは絶芸の詳しい学習規模を公開していないんですが。

 それからもう一つのゴラクシー。これはギャラクシーを文字ったものなんですけど(笑)。

──ユニークですね(笑)。

大橋:
 このゴラクシーが今、すごく伸びているんです。絶芸は、たまにしか大会に出てこないです。1年に1回ぐらい出てきて華麗に優勝する。

──一般公開する感じじゃないんですね。

大橋:
 テンセントは中国棋院と提携していまして、絶芸は中国のトップ棋士専用のAIになっているんです。

──中国棋院の、さらにトップしか触れることを許されないAIなんですか!

大橋:
 そうですね。聞くだけで迫力があります。

──企業の威信を懸けて開発しているんですね……!

大橋:
 一方でゴラクシーというのは、サーバーの規模は絶芸ほど大きくはないですが、様々な新しい技術を投入して、出る大会はほぼ全て優勝してるんです!

──おお~!

大橋:
 で、たまに絶芸が出てくると、一騎打ちになる。ほかのAIとは頭ひとつふたつ違うんです。ゴラクシーが勝つこともありますが、複数回の対局を行う番勝負だと絶芸が優勢……という関係ですね。

──その2つのソフトは……日本のプロ棋士は使用できるんですか?

大橋:
 そこなんですよ! 先ほど申し上げたとおり、絶芸はトップの中国棋士しか使えないんですけど……テンセントが持っている囲碁サイトがあって、そこでは簡易版の絶芸が全世界に公開されているんです。

──簡易版をダウンロードできるんですか?

大橋:
 いえ。その対局サイトで打った碁を、絶芸で検討できるということです。

──へぇぇ~!

大橋:
 普段使いには便利です。ただ、思考時間は1秒くらいで中国サーバーから返ってくる感じです。

──深くは読まないんですね……だとすると、プロには物足りない?

大橋:
 はい。プロはそこからヒントを得て、自分のハイスペックなパソコンで検証するという感じです。もちろん、絶芸ではないAIにはなるんですが……。

──絶芸の打つ碁は、すごく独特だったりするんでしょうか?

大橋:
 いやいや。もう人類とAIは、布石(序盤の打ちかた)に関しては似通った碁を打ちます。というか人間がAIに歩み寄ったので。ただ中盤以降はAIが強すぎて、理解できないことが多いんですが。

──そこは将棋界とも似た状況なんですね。あの、ディープラーニング系の将棋AIは、終盤に少し難があるのではと言われているんですが……。

大橋:
 そこなんですよ! ディープラーニングでは人間でいう直感を鍛えているので、序盤がすごく強いんですけど、囲碁でも探索が大事な中終盤は比較的に苦手で。しかしさっきのゴラクシーなんですが、様々なドメイン知識を組み合わせて、中盤以降がほかのAIよりかなり強いんです。

──ディープラーニングなのに中終盤が強いとは……無敵じゃないですか!

大橋:
 一口にディープラーニングと言ってもいろいろありまして、ゴラクシーはそこを克服することで、ほかのAIを寄せ付けない強さを得ました。

 アルファ碁ゼロ系の、完全に自己対戦から学ぶだけのAIよりも、人間のドメイン知識を組み合わせて学習をさせてやったほうが、囲碁の専門AIとしては強い……という感じですね。

──すみません! ドメイン知識というのは……。

大橋:
 なんと言えばいいのか……ルールじゃないけど、人間が囲碁を打つ上で考えていることですね。あと何手でその石が取られるかとか、より具体的に言うと、シチョウとか。

──どんどん打っていくと盤の隅まで行って、石を全部とられちゃうやつですよね?

大橋:
 ゼロタイプのAIはシチョウがすごく苦手です。あと、2眼で生きるとか……そういうのもアルファ碁ゼロは教えてないんです。

シチョウ。

──その陣地に目が2つできれば絶対に取られないっていう、囲碁の本当に基礎的なことですよね?

大橋:
 それすら自己対戦から自分で学んでね、っていうのがゼロタイプなんです。ただそれは、ものすごい学習コストが必要になります。だからそのへんはあらかじめ組み込んであげるわけです。

──開発の方向性としては……ちょっと後退してる感じを受けますね。人類の知識がゼロだからこそ強くなれたという話だったのに……。

大橋:
 実はそれは違うんです。最初、アルファ碁ゼロが登場した時に人類は『人間がこれまで築いてきたものは無駄だったのかー!』と絶望したわけですよ。しかし、アルファ碁ゼロの本当に凄いところは、アルファスターやアルファフォールド【※】のような汎用性を目指したところです。

 専門的な囲碁AIとしての実力を高めるのであれば、ディープラーニングをより効率的にするために、人間が手助けしてあげたAIの方が、現在の状況では伸びていますね

※ともにアルファ碁ゼロの手法を発展させたAI。アルファスターはスタークラフトのAI。アルファフォールドはタンパク質の構造を予測するAI。

──なるほど……。

大橋:
 デリケートな部分なんですが……僕は「ディープラーニングは中終盤が弱い」というのは、「与えられる教師データが中終盤が弱いものばかりだから、中終盤が弱くなる」のではないかと考えています。

──ああ! それは確かにそうですよね! 中終盤が弱いディープラーニングが自己対局して生成した棋譜は、中終盤が弱くなるのは当然です。それをもとに学習していけば、いつまでたっても中終盤が弱いまま……。

大橋:
 ゴラクシーやカタゴは、最初にドメイン知識を組み込んでから自己対戦することで、中終盤に強い教師データを生成しているのではないかと思います。まあ、それだけが強さの秘密ではないんでしょうが。

 アルファ碁ゼロはそこを力技で突破しちゃいましたね。40b(ブロック)と大量のTPUで。

──(また知らない言葉が出てきたぞ……)あの、ブロックというのは、数が多い方が強いんですか?

大橋:
 はい。ブロック数というのは、人間の脳を模した学習用のニューラルネットワークのサイズを示します。ブロックが多い方が、脳みそが大きいイメージ。だから数が多いほど強いと言われています……が、ゴラクシーの開発者はそうでもないと言っていました(笑)。

──難しい(笑)。将棋界ではまだあまり聞かない言葉ですが、ディープラーニングが普及すれば使われるようになるんですかね?

大橋:
 ブロック数は大事ですね。ブロックが少ないと探索が速いので、時間あたりで強さを比較するわけです。

 探索は遅くなりますが、40ブロックを強化していけば、20ブロックよりも強くなるケースがほとんどです。
 
─話が少しそれましたが……ディープラーニングという手法にも、限界のようなものがあるんですね。

大橋:
 AIが神の領域に行けば、人間の手助けは全く必要ないと思います。ただ、まだ人間が手助けしてあげたほうが強くなるということは――。

──逆説的ではありますけど、まだコンピューターが完璧な存在ではないという証明のような気がしますね。

囲碁AIが人類に与えた影響

──将棋AIは、今年の5月に世界大会が開かれるんですが、そこではディープラーニング系のソフトがレーティング5000くらいになって上位を席巻するのではと予想されています。

大橋:
 おお~!

──ただ、そこまで強くなってもたとえば序盤戦術などでは変化がないんじゃないかと開発者さんがおっしゃってたり……囲碁は序盤からもう、ものすごい変化があったわけですか?

大橋:
 そうですねぇ……違うと言われているのは、星に対してすぐに三々に入る――。

──ダイレクト三々というやつですか?

ダイレクト三々。

大橋:
 はい。それが最も違う……と、言われているんですが。

──が?

大橋:
 似てる、と捉えることもできるかなと。

──それは……何に似ているんですか?

大橋:
 人間とAIが似ている……つまり今の囲碁AIって、どれも布石は星と小目だけなんですよ。将棋ソフトがみんな居飛車を指すみたいに。天元を打つAIって、人間がプログラムをしてやらないと、存在しない。みんな隅の星と小目に行き着いてしまう。

──星は、まさしく碁盤の隅にある黒い点。小目はその隣ですね(隅に近い2箇所)。天元は盤の真ん中の星で、ヒカルの碁だと初手で天元に打つと、打たれた方はみんな怒る(笑)。

大橋:
 目新しいのは、その星に対して三々に入るということだけで。たとえばカカリと呼ばれるアプローチも人間と同じなんです。その後の打ち方は多少、人間とは違うんですが……それを違うと捉えるか似てると捉えるかは、棋士の感性次第かなと。

カカリ。

──専門用語がたくさん出てきて大変ですが……要するに、敵に接近していく。

大橋:
 数年前、星に対して三々に入るAIの手を見たときに、今の50代60代くらいのある棋士が『いやぁ……みっともなくてこれは打てない!』と言ったんですが、同じ日に、新人王を取ったばかりの広瀬優一君(五段)が『いやぁ……三々に入るの感動したんですよ!』と言っていて(笑)。

 つい最近では、とある先輩棋士がお酒を飲んでうめくように「三々に入る棋士には負けたくない」と言ったという伝説を聞きました。一方で18歳のときに阿含桐山杯で優勝した六浦雄太君(七段)は、『AIもみんな星と小目に打つ、そこに辿りついていた人間て凄くないですか!?』と言ってました。

──ベテランと若手でそこまで反応が違うんですか!?

大橋:
 羽生先生のインタビュー記事でも、美意識に言及したものをたくさん読ませて頂きました。興味深いことに、今の若手棋士は、AIの打つ手を美しいと感じている気がします。その目で50年前のプロ棋士が打つ碁を見ると、違和感をおぼえるんじゃないでしょうか。逆に猛烈に感動する人もいるかも……。

 だから美意識も、学習するものによって変わってくる……そもそも人間の美意識って何なんだろう? って。

──大橋先生の過去のインタビューで、若手棋士達がAIを使った検討中に『これは青だよね』とか『蕁麻疹だ』と言ったりというのがありましたが……。

大橋:
 そうそう!

──AIは最善手の場所を青く光らせるので、最善手を『青い』と言う。逆に最善手を絞り込めずに全幅探索に入ると、盤のあらゆる部分が光るので、それを指して『蕁麻疹』と言う。このようにAIの影響で囲碁の用語すら変わってきた、ということですよね?

大橋:
 はい。『ここ青いね』と。海外の棋士も『ブルーポイント』と言うらしいんです。『ディスイズ・ブルーポイント!』(いい発音)って!

──囲碁の用語って、けっこう殺伐としてたじゃないですか。切るとか殺すとか。でもAIが入ってきたことで、そういう言葉の感性すらも変わっていくというのは……文章を扱う人間としても非常に興味深いです。

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